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All About my Salsa [東京/ 大阪サルサ情報]
六本木・大阪・神戸等のサルサイベント・ダンス・レッスン情報
サルサ界には色んな方が関わっています。
イベントやパーティを企画するオーガナイザー、曲をかけるDJ、ライブで演奏をするミュージシャン、パフォーマンスを披露するダンサー・・・などなど。
皆さんそれぞれ、どのようなキッカケでその道に関わることになったのでしょう?どんな想いでサルサに関わっているの?そんな質問を色んな人に直接聞いてみました。

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サルサ・レボリューション 西郷理恵子さん (2014年5月)

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▼ミュージシャン編
山田能史さん (2006年7月)
森村献さん (2006年8月)
安藤弘さん (2006年7月)
AYA & NON (2006年8月)
オルケスタ デラカンダさん(2009年12月)
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CATEGORY : サルサ人インタビュー
【サルサ人インタビュー】西郷 理恵子さん
DATE : 2014-05-19-Mon  Trackback 0  Comment 0
pic386

サルサをしていると、たまに職場の同僚とか、取引先とか、かつての同級生とバッタリ遭遇することがあります。で、「え!○○さんって、サルサやってたの~?意外!!」みたいな、新たな一面を(お互い)発見して、盛り上がったり、がぜん相手に興味がわいたりすることがあります。飲みニケーションならぬ、踊りニケーションとでもいいますか。

今回インタビューしたサルサ人・西郷理恵子さん(以下Riekoさん)もまさにそんな踊りニケーションで仲良くなったサルセーラさんです。Riekoさんとは、6年ほど前に、サルサとはぜんぜん関係のないプロジェクトでお仕事をしたのですが、その時はビジネスのお話だけ。それから時が流れ、3年ほど前に中目黒のタウンホールでのサルサイベントでバッタリ再会。なんと踊るだけじゃなく、DJやイベント企画までしてるじゃあ、あーりませんか!

というわけで、今回は”サルサ・レボリューション”の主催者・Riekoさんにお話をうかがいました!


サルサと出会って、人生変わった!


【アミケン】
---Riekoさんがサルサをはじめたキッカケは?


いまから5年前ですね。
いきつけの新宿2丁目のゲイバーがあるんですけど(笑)
そこのお客さんだった友人(←ちなみにノンケだそうです)に、サルサのフライヤーを渡されたのがきっかけです。
その時は「サルサ」がどういうものか、なにも知らなかったんですけど・・・ちょうど離婚直後で、新しい出会いのありそうなお誘いには全部いってみよう!と思っていた時期で、フライヤーをみたら料金も1000円で安いし、とりあえず行ってみよう!!と思ったのが始まりです。

事前にインターネットやYoutubeなどでサルサについて調べることもなく行ったんですけど、会場についてびっくり。こんな世界が日本にあったんだ! 日本じゃないみたい!何よりも驚いたのは、知らない男女が手をつなぎ一曲ごとに次々に相手を変えて、しかも二人がかなり近い距離で踊っていることでした。初対面の人とハグや挨拶のキスの習慣もなくシャイだと言われる日本人が、それほど情熱的に舞い踊る姿に目を疑いました。

はじめは茫然とフロアを眺めているだけだったのですが、男性ダンサーの方々にベーシックステップを教えてもらいながら、「だいじょうぶだよ~」とエスコートされて踊ってみたんですけど、「これはすごいものに出会ってしまった!」と感じて、その日のうちにハマりました。

サルサとの出会いは、まるで未知の言語に触れたような衝撃で、いつまでも興奮冷めやらぬ状態でした。その夜は、まったく知らなかった男女のコミュニケーションに出会った喜びで、胸がいっぱいになりました。

そのイベントのアフターで、スタッフとお客さん同士での2次会があったんですけど、初日から参加して、
「次回は、私にもなにかお手伝いさせてください!」って言いました(笑) 

---サルサとの出会いは大きな出来事だったんですね

そうですね!
今は、サルサの音楽とダンスがあるから、生活のオンとオフのバランスが取れていると思います。仕事で落ち込んだり、嫌なことがあったりしても、サルサを踊りにいくと良い意味でリフレッシュして、前向きに考えられるようになりますね。もしサルサに出会ってなかったら、今日の自分はいなかったと断言できるほど、私の人生になくてはならないものになっています。

私の中高時代は部活せずの帰宅部で、大学時代はボランティア・サークルに所属するぐらい。社会人になっても運動といえば、1人でスポーツクラブに通う程度で、趣味がないことが、ずっとコンプレックスでした。が、今は「趣味はサルサ!」と声を大にして叫べるようになりました(笑)
これからも健康で、いつまでも楽しくサルサが踊れますように……と心の底から願いますね。


孤独なロック・リスナーから
情熱的なラティーナに!


---もともとダンスは得意だったのですか?

いえいえ、ダンスには苦手意識を強く持っていました。中学2年の体育の創作ダンスの発表会で振付を間違えて恥をかいてから、「もう2度とダンスは踊らない」と思っていました(笑)。その後も、いわゆるクラブに行ったのは社会人になってからが初めてで、新木場のageHaに2回行っただけです。その時も、自分がちゃんと恥ずかしくなく踊れているか、他人の視線が気になって、いまいち楽しめませんでした。

もし事前にサルサパーティーのことを調べていて、自分もダンスを踊る状況になると分かっていたら行けなかったかもしれませんね(笑)。サルサの場合は即興のダンスで、男性にリードしてもらえるところが、自分には合っていたと思います。

もともと音楽は大好きでした。3歳から10年間クラシック・ピアノを続けていましたが、中学に入ってケーブルテレビでMTVを見るようになって、洋楽ロックに出会い、Aerosmith 、Gun’s and Roses、Van Helenが好きになりました。中高は女子校で、同級生がジャニーズのアイドルに夢中な時代に、私は長髪&ヒゲ&筋肉ムキムキ&腕にはタトゥーの外国人が表紙の『ヤングギター』や『BURRN !』を読んで、孤独なリスナーをやっていました(笑)。
私がもし男性に生まれていたら、絶対にギタリストになってロックに魂を捧げていたはずなのにと、男性アーティストになりきってギターをかき鳴らす真似をしてました。
……と、こんな経緯がありましたが、いまはすっかりラテン一色になってしまいました!

ラテンで最初に好きになったのはバチャータです。
まだサルサ・バチャータ・メレンゲの区別もついていないときに、友人からもらったCDの中で気に入った曲は全てバチャータだったんです。ちょうど、Croma LatinaやMojito ProjectなどのItalian BachataやExtreme (エクストリーム) などが、日本のラテン界でも人気になり、洗練された感じのバチャータが流行りだしたころでしたね。

そんなわけで、最初の1年はどっぷりバチャータを聴いてました。スウィートでセクシーな男性ボーカルが好きで、スペイン語の意味もわからないのに、うっとりとしながら聴いていましたね。
気になって、歌詞の意味を調べてみたら、日本の歌謡曲だったら絶対ありえないような、昔の彼女への未練がましい歌詞が多くて新鮮でした(笑) マッチョな国なのに、未練を表現することを恥ずかしい、女々しいとは評価しない、ラテンの男子の不思議な恋愛観にも興味をもちました。






ダンスはフロアの男性たちとYoutubeから学んだ


---では、踊りはどうやって覚えていったのですか?

じつは……スタジオ・レッスンには通ったことがなくて、イベントで素敵な男性たちに踊りながら実践で教えてもらいました。幸運にも、親切な上級者の男性たちに触れる機会が多く、お世話になりました。
あと、我流でお恥ずかしいデスが、YouTubeで、好みのインストラクターを見つけては、その動画を繰り返し観ていました。特にお気に入りのバチャータ・インストラクターは、スペインのDaniel SánchezとインドのVineetです。二人とも、紳士的で上品で、いやらしさがないのに、とてもセクシーなんです。彼らは「自分が目立ちたい!」という出しゃばったところがなく、常に女性を引き立てて踊るんです。フリースタイルでもパフォーマンスでも、パートナーの女性と見つめ合って、会話をするように踊るところが好きです。女性を「大切なもの」を扱うように丁寧にリードをしていて、フォロワーの女性はいつも気持ち良さそうに、うっとりとした表情をしているんです。

そういえば、先ほど、「昔からダンスは苦手意識が強かった」と言いましたが、サルサのダンスに関しては最初から楽しかったです。
即興のラテンダンスは基本的に人に見せるためのダンスではないし、振り付けを間違えて皆の前で恥をかく心配がないということも、自分に合っていたのだと思います(笑)





---踊る時のこだわりポイントとかはありますか?

「楽しさの探求」
を大切にしています。
即興のペアダンスでは、言葉を介さずのリード&フォローで、いかにコミュニケーションするかが醍醐味ですよね。
中でも、私は「体重移動とテンションとコネクション」を重視しています。私はサルサを始めてすぐに、コネクションの上手な男性たちに恵まれて、それに気づかせてもらえてラッキーだったなと思います。私は複雑な技をたくさんかけられるよりも、ずっと、テンションが切れずにフワッとお互いの体重を感じ合える踊りが好きです。サルサの凄いところは、まったく初対面の相手でも、テンションが合うとびっくりするような気持ち良さが味わえることですね。
ある程度、基礎的な技が踊れるようになってからは、今度は男性のリードに単に受身になるだけではなく、相手から感じるインスピレーションをキャッチボールするかのように、踊りの中で表現して返したいと思うようになりました。


サルサで発見した、新たな女性らしさ


---サルサならではの魅力ってどんなところだと思いますか?

私は、性格も体型も女性らしくないことに長年コンプレックスを感じていて、「女はこうあるべき」というジェンダーを押し付けられることにも、小さい頃から反発を憶えていました。でも、サルサに出会ってから、「女を演じる」のを楽しめようになりましたね。本当の自分は別のペルソナを持っているけど、ダンスをしている間だけは女らしさをポジティブに演じられる。それがまた楽しいところだと思います。

そして、「女性らしさ」を表現することに可能性を感じています。
それまで男性を魅了する女性のエロスは、若さと女らしい体型だけにあるものだと思い込んでいました。それゆえ、歳を重ねることへの恐れや、貧相な身体への諦めと嫌悪感は常についてまわりました。でも、サルサを楽しむ人の中には、うっとりするような魅力的な年上の女性たちが何人もいます。ダンスのルーツは動物の求愛行為にあると言われます。彼女たちの表現力豊かな手の表情、なめらかな腰のムーブメント、吸い込まれるような視線、そしてそこからほとばしるパッションは、同性の私が見ても思わず見とれてしまうほど官能的で美しいものです。彼女たちに少しでも近づけるように、これから習得できる余地があるならば、年齢を重ねながら踊りを磨き続けたいですね。

実は、サルサに出会う前って、結婚生活の末期だったし、もう私は女として終わったかなーとか、もう来世にならないと男に触れられないんだー(涙)……っと落ちこんでいたんですよ!
でも、そんな時にサルサに出会って、「私ももう一度オンナになれるかも!」「まだまだ自分にも磨きドコロがあるのかも!」と思ったんです。

また男女ともにサルサを踊る人は、気持ちがいつまでも若いままでいられるようで、私もそんな人たちを見習っていきたいです。


---サルサだと、男性も、男らしさを「演じる」ところがありますよね

ある男性は、踊りながら「サルサは今の時代、唯一男性が主導権を握れる最後の砦だよ!」と笑っていました。男性も、日常から解放されたダンスの中で「男」を演じ、オスを補完する面白さがあるのかもしれません。
「男らしさ」「女らしさ」を窮屈に感じていた私が、今は、「男と女」というダンスにおける枠組みをあえて利用した上で、男女のコミュニケーションを真正面から楽しめていることは本当に嬉しいことです。


美曲厳選のサルサ・レボリューション


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---さて、そろそろRiekoさんが主催するサルサ・レボリューションについて聞いていきたいと思います。

 サルサ・レボリューションのスタートは2010年の10月なんですが、その頃、私が講師を務めた「恋愛・結婚・セックスを考える講座」の受講生さんへのアフターケア・プログラムとして、サルサ・パーティを催したのがきっかけです。私がサルサから感じた「既存のジェンダーからの開放」や「男らしさ、女らしさを敢えて楽しむ方法」を体感してもらいたかったのです。

まだサルサ歴2年弱で不安だったのですが、多くの友人たちのサポートのおかげで楽しく行えました。1回限りの予定だったのですが、あまりに楽しくできたので、その後も、良い曲をみんなに伝えたい、聴いてもらいたいという想いから、「美曲厳選」をコンセプトに不定期でイベントを続けました。振り返ると、昔から音楽をかけるのが好きで、小学校の時は放送部で、下校時間がくると、それを知らせる決まった曲のテープをポチっと押してたのですけど、それすらもすごく気に入って喜んでやっていました(笑)

中学・高校のときは年に1度の宿泊学級の時に、館内放送で「みなさん、おはようございます!」と起床のアナウンスしながら、ハマっていた洋楽ロックを流すのがとても楽しみでした。
今は、サルサ・レボリューションで、大好きな名曲ラテンソングをかけられて、それで皆が楽しんで踊っている様子を見ると、心から幸せな気分になりますね。

---イベントをきりもりするのって、たいへんじゃないですか?

優秀で陽気なスタッフの皆に支えられているお陰で、大変だと思ったことは一度もないですよ!
私は、中学・高校のとき、体育祭や文化祭の準備をものすごく入念にやって、めいいっぱい盛り上がる学校だったから、その時のお祭り隊長な気質が染みついているんだと思います。

会場手配、選曲、照明を工夫して、映像を作って、受付して、司会進行して、自ら踊って……って色々してますけど、今も、もっと他に工夫できることがないかと常に探しています。面白いこと、楽しいことはスタッフ側としてかかわりたいタイプですし、お客さんが求めていることに常に気をくばって、思いつくことは全部やってみたいです。自分にできることは限られているけど、共感してくれる人がいてくれる限りは、一生懸命ベストをつくしたいと思います。

---Riekoさんって、たまに珍しい国の曲をかけますよね?

世界中でサルサが踊られていることからも分かるように、スペイン語圏以外にもラテン・アーティストがいて、イタリア、ギリシャ、トルコ、ハンガリー、ルーマニアetc・・・中南米以外の国のサルサにも興味があります。カバー曲も大好きなので、今、洋楽ヒット・チャートで流行っている曲のカバーやラテン・リミックスのバージョンを常にチェックし集めています。若くて才能のあるラテン・アーティストが続々と輩出されるので、洗練された楽曲がどんどん発表されて、いつまでたっても宝探しが終わらない感じですねぇ。いずれは自分でもリミックス・バージョンを作れる位のDJになりたいです。

以前、私のブログで”Latin Sound Machine”というイタリアのラテンバンドを紹介したところ、リーダーであるFabio Gianniがその記事を見付けて、Facebookから私にコメントをしてくれました。遠く離れた日本に、自分のファンがいたことに感動したようで、やりとりが続き、それがきっかけで交流が始まりました。ミラノからCDを送ってくれたり、発売前の新曲をプレゼントしてくれたこともありました。そのお礼として、私は、サルサ・レボリューションで、彼の曲をかけたときの映像を彼に送りましたが、とても喜んでもらえました。ラテン音楽を通して、とても貴重な体験をしています。今年はFabioに会いにミラノに行く予定です。



---そうそう。サルサ・レボリューションはブログも充実してますよね!

サルサをより楽しんでもらうために、曲をしっかり聴いてほしいと思っているので、曲に関する情報発信をマメにしています。イベントでは、「さっきの曲は何?」って尋ねてもらえると嬉しいですね。リクエストも大歓迎です。
リクエストされた曲が、私の知らない曲だと私も勉強になりますし。ぜひDJブースにきてください!

---DJとしてのプレースタイルとかありますか?

1回のイベントの3時間でかけられるのは42~45曲ですが、選曲のリストを見返すと、その日のフロアのストーリーが思い出せます。どうしてその瞬間、この曲を選んだのか私の中では、すべて理由があります。個人的には切ない曲やメロディアスなサルサ・ロマンティカが好きなので、それが引き立つようにあえてアップテンポの曲を前後に挟んだりとか、定番の名曲で安心して踊ってもらった後には、新曲や珍しい楽曲を紹介したり、バランスを意識してプレイするようにしています。

---それでは最後に、サルサをもっと楽しむ秘訣をおしえてください

やっぱり、曲があってのダンスなので、曲に関心をもってほしいですね。曲の雰囲気や世界観を味わってリードやフォローで情熱を込めて踊れる人は男性でも女性も、素敵だなと思います。

最近のラテン・ヒットチャート上位の、Romeo Santos, Prince Royce, Daddy Yankee, Don Omar、Winsin y Yandelなどは、普段洋楽のR&BやPOP、HIP HOPを聴く人であれば、自然に身体が反応してしまう親しみやすい曲が多いと思います。今は、世界的にはEDM(エレクトロニック・ダンス・ミュージック)がブームになっていますが、David Guettaのラテン・リミックスやPharrell Williams、One Direction、Bruno Marsのバチャータ・カバーも私のイベントではかかります。20代、30代が音楽をきかっけにラテンダンスにも興味を示してくれることを期待しています!



あと、これは男性に向けてのメッセージなんですが・・・男性リードのペアダンスであるサルサを通して恋愛や男女関係のマナーを学ぶことができると思います。

仕事で、男性にデート・マナーの講師をしたことがありますが、「女性にとって、セックスは、デート中の会話から始まっています」と指導しています。会話の内容、話し方、表情などから、無意識であっても女性は相手を判断しているんです。だから、ムードを作る必要があります。
サルサの場合であっても、「ダンスは、女性を誘う時から始まっている」と心得てほしいと思います。
紳士的な誘い方の男性は、リードも丁寧で女性を尊重したダンスを踊る方が多いように思います。一方、横柄な誘い方の男性は往々にして、自分本位のダンスを踊る方が多いような気がします。これはダンスの技術レベルには関係ないですね。

例えば、誘う時の表情、声の掛け方、声をかけるタイミング、フロアにエスコートするときの手の握り方とか、スマイルとか……そういうエチケット的なことまで教えてくれるダンスインストラクターさんは少ないと聞きますが、女性にとっては重要なポイントですね!サルサを踊る場所では、初対面の男性とは5分会話をするよりも、5分踊った方が相手の性格が分かる気がしてなりません。

---サルサから学ぶことはたくさんありますね(笑)

そうですね。他には、サルサを通して、陽気で楽天的なラテンの生き方を学べるところではないでしょうか?サルサを始めてから性格が明るくなったとか、うつ病を克服したとか、人生が好転したと言う人は多いですよね。
良い意味での適当さとか、失敗を恐れないチャレンジ精神。恋愛でいえば、例えば、デートに誘う時の成功の可能性が50%だったら、ラテン気質だと基本GO!じゃないですか。ダメでもともと、50%成功するなら誘うよ!みたいなね。あと少しでも可能性を上げるために、ラティーノはホメるのが上手だったり(笑)

仕事とプライベートのバランスを尊重するところもいいですね。
サルサを踊る人が増えると、仕事もプライベートもロマンスもうまくいくんじゃないかなって思います。
日本人はもっと踊った方がいいですね!

---どうもありがとうございました。今後のご活躍も期待しています!

ありがとうございます。
今後といえば、サルサ・レボリューションとは別企画なのですが、キューバに縁のある方に出会って、5年後にキューバでサルサ・フェスティバルをやることになったんです☆ 内容はこれから考えていくんですけど、とりあえずやることになったので、よかったらアミケンさんも遊びにきてくださいね(笑)

---さすがお祭り隊長ですね(笑)

【西郷理恵子/プロフィール】
サルサ・レボリューション 主催者&DJ。
http://ameblo.jp/salsa-revolution/


>>サルサ人インタビュー バックナンバーはこちら
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CATEGORY : サルサ人インタビュー
【サルサ人インタビュー】オルケスタ デラカンダ
DATE : 2009-12-18-Fri  Trackback 0  Comment 0

今回お話を伺うのは、関東を中心に活動するロマンティカ・サルサバンド「Orquesta de la Canda」から、リーダーの"Candy" Kandaさん(以下Candyさん)、ボーカル&サックスのニコラス松尾さん(以下ニコラスさん)、ボーカルのMarinaさんの3人です!

【amigoken】
---みなさんの経歴や特徴を教えてもらえますか?


<Candyさん>
Orquesta de la Canda(以下デラカンダ)は2000年に結成したサルサバンドです。
もともとはラテン音楽をやろうというバンドでメンバーを集めたんですけど、その時からいるのは、僕とニコラスさん、フルート&サックスの"けにー"の3人ですね。最初はラテンジャズ、ボサノヴァとかも混じっていて、サルサとは全然関係なかったですね。

最初のライブが江古田Buddyというクラブだったんです。そこではサルサのイベントがよく催されていて、うちのメンバーの中では当時ニコラスさんが唯一サルサを踊れたんですけど、僕らのバンドもサルサをやろうかってことになったんです。

<ニコラスさん>
当時はサルサクラブでかかっているようなメロディアスなNYスタイルの曲を演奏するバンドがほとんどなかったんですよ。
じゃあ自分たちでやろうよと。

<Candyさん>
で、サルサをはじめたんですけど、最初の印象は「難しい」でしたね。
ジャズとはピアノの役割も音の作り方も全然違う。
でも音楽の中で最高峰だなって思いました。ジャズとラテンをMIXしてサウンド的にもハーモニー的にも最高のものをくっつけたっていう感じで、凄く面白いなと。

<ニコラスさん>
ちゃんとした音が出せるようになるまでは険しい道でしたね。最初は初心者の集まりでしたし。
参考にしたバンドはオルケスタ・デ・ラ・ルスです。リアルタイムで経験していたわけではないけど、CDで聴いたり。DVDを見たり。

<Candyさん>
僕が一番最初に聴いたサルサは「INDIA」っていう女性アーティストなんですよ。
NYサルサ界の大御所エディ・パルミエリが抜擢したアーティストなんです。
今でもサルサって男性ボーカルが多いですが、当時は特に男性ばかりの中で、NY系の女性ボーカルっていう意味では珍しい存在で、彼女の音楽に魅かれましたね。


---デラカンダが演奏する曲は、どのように選曲されてるんですか?

<ニコラスさん>
だいたい、まず僕が「クラブで一番流行っているこの曲やりたい」って言うんですけど、バンドメンバーは最初はそっぽを向いてるんです(笑)
でもCandyは踊る側の気持ちのほうが多い人なので、なんかわかってくれますね。

<Candyさん>
ハハハ。

<ニコラスさん>
まぁ、なので、六本木でかかってる曲で、メロディアスでロマンティカな「これはいいな」っていうのを選んでますね。
日本の他のサルサバンドとの違いでいうと、キューバ系だったりプエルトリコ系のパーカッシブというか「勢い」を前面に出してくるバンドが多いのに対して、
我々はポップスを聴いて育ってきた世代なんで、ポップスをそのままサルサにしたような感じのが多いですね。
そういう意味で日本で一番メロディアスでロマンティカなサルサを演奏しているのはデラカンダなんじゃないかなって思ってます。

<Candyさん>
ロマンティカな曲は演奏していて気持ちいいんですよ。
男女のデュエットで歌うようなボーカルの曲のレパートリーが多いですね。
「INDIA & MARC ANTHONY」みたいなね。そういうのが一番デラカンダの特徴をだせるので。

<Marinaさん>
自分たちが踊りたい曲を、演奏してるので、演奏中も踊りたくなっちゃいますね。
っていうか踊ってます(笑)




---デラカンダのキラーチューンといえば?

<Marinaさん>
「NO VALE LA PENA」ですかねー。

<ニコラスさん>
必ずアンコール曲でやりますね。
皆さん一度は聴いたことのある曲だと思いますよ。
RMMっていうレーベルがあって、そのロマンティカサルサ界のスターたちがやり始めた曲ですね。「Combinacion Perfecta」ってアルバムに納められてるのが秀逸ですよ。




---ライブではスペイン語で歌っていますけど、スペイン語はもともとできたんですか?

<Candyさん>
あぁ、そこ俺もききたかったんだよ(笑)

<ニコラスさん>
いまだにできてないっすね・・・歌詞は棒読みです(笑)

<Marinaさん>
私はスタバにいって、辞書ひいて勉強してますよ!
もともとスペイン語をやっていたわけではなく、サルサから学んでいったかんじです。
歌詞にこめられた意味とかわかると気持ちも入るし、自分も歌ってて楽しいですからね。

<ニコラスさん>
ひとつひとつ辞書ひくのはツライけど、俺もネット翻訳にコピペして大体の意味は調べますよ!


---日本の曲も演奏しますよね?

<Candyさん>
日本の歌謡曲をサルサにアレンジしたのは、かなりレパートリーありますよ。
最近よく演奏してるのは「未来予想図2」とか「Won't be long」とかですね。

<ニコラスさん>
邦楽サルサを演奏すると、お客さんは歌いながら踊っていますね。

<Candyさん>
サルサクラブのお客さんって、どっぷりサルサ音楽に浸かってる人ばかりとは限らないじゃないですか。
だからサルサのリズムと邦楽の有名な曲との組み合わせっていうを好む人は多いんじゃないかなって思いますね。
僕自身がそうですし。

<Marinaさん>
歌いながら踊れるのって、最高に気持ちいいですからね。
スペイン語だと、ちょっと間違って口ずさんでるかも?ってことがあるけど、日本語だったら思いっきり歌えるっていう気持ちよさがありますよね。


---来年で結成10年ですね。長く続けられるコツはなんでしょう?

<ニコラスさん>
ラテン的に、ゆる~くやってるからじゃないですかね。
「がんばらない」ってのがコツかな。

<Candyさん>
(笑)
最初は初歩の初歩からはじめたけどね。さすがに10年もやってるとちゃんとしてきたよね。

<Marinaさん>
バンマスのCandyさんは大体ホワ~っとしてるんですけど、シメるところでは声だしてシメてくれるんで、それが効いてるんだろうなーって思います。
小うるさくもないし、マメでもないんですけど(笑)

<ニコラスさん>
それに、なかなか連絡とれないんだけどね(笑)

<Candyさん>
次のライブの調整とかは、ニコラスさんがうまくやってくれるんでね。
僕は部費の計算だけですね(笑)

<ニコラスさん>
10年も活動やってると、バンドのホームページからライブの依頼とかが来ますからね。
これまでも宇都宮・浜松・仙台・静岡とかには遠征しましたね。
あと一度だけ英語のメールがシンガポールから届いたことがあったんですけど、「なんか怪しいな~、さらわれたりしちゃったらどうしよう」とか思って断ったら、実はシンガポールで最大のちゃんとしたサルサイベントからのオファーだと後で判明したこともありましたね。世界デビューの機会を逃しちゃいました(笑)

<Candyさん>
僕らはとにかくダンスのイベントで、ダンサーの前で演奏するのがモチーベーションの源ですね。
呼ばれれば色んなところにいきたいですね。

<ニコラスさん>
夢は福岡の「イスラ・デ・サルサ」ですね。
サルサ界のフジロック的なイベントですからね。

---ありがとうございました!

▼2009.12.19(土)ハマクリでのライブの様子


>>>Orquesta de la Canda公式サイト
<<< サルサ人インタビューtopへ
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CATEGORY : サルサ人インタビュー
【サルサ人インタビュー】石川裕子さん from Los Salseros
DATE : 2009-11-30-Mon  Trackback 0  Comment 0

今回は日本人サルサインストラクターのパイオニア、LOS SALSEROSの石川裕子さんにお話を伺いました!

【amigoken】
---YUKOさんがサルサに出会ったきっかけを教えてください。


私が高校生の時に映画の「フラッシュダンス」を観たんですね。サルサの話ではないんですけど、あの映画がきっかけでダンスに興味をもって、ジャズダンスをはじめたんです。そこでダンスの楽しさに目覚めたんですけど、本当のダンサーっていうのは小さい頃からバレエをやっていたり、体を鍛えていたり、生まれつきの才能があったりしますが、私はそういうタイプではないので、あくまでもダンスは趣味としてやっていこうと思っていたんです。

それからしばらく経って、私が22~23歳の時に、スペインへ語学留学したんですね。
ある日ディスコへ遊びに行った時に聴こえてきた曲がすごく気に入って、「それはサルサだよ」って友達に教えてもらい、すぐ次の日にCDを買いに行きました。

でも、サルサっていうカテゴリーがその頃はよくわかってなかったですね。当時のスペインのクラブではペアで踊っていなかったですしね。みんなディスコみたいにただサルサの曲のリズムに乗ってワイワイ踊っていたので、私もそう楽しむものなんだと思っていました(笑)


---では、本格的にサルサに目覚めたのは帰国後ですか?

そうですね。日本に戻ってからシステムエンジニアとして就職したのですけど、たまたまその職場の中にスペイン語学科を卒業した方がいたんですね。
で、その方に「面白いところに連れて行ってあげる」っていったのが、キューバレストランのボデギータっていうお店(現在の築地Cuban Cafe)だったんです。

そのお店では、皆が料理を食べ終わるとテーブルやイスをガタガタ片付けだして、サルサを踊りだすんですよ。
私はワケがわからなくて、「はぁ?」とか思ってしばらく見ていたんです(笑)。

そうこうしていると、外国人の方にパっと引っぱり出されたんですね。私は「イヤイヤ、ムリムリ・・・」って典型的な日本人の女の子的なリアクションをとっていたんですけど、いざ踊り始めちゃうと、もともとダンスは好きだし、サルサの音楽も好きっていうのがあって、「これは、おもしろい!サルサってペアで踊るとこんなに楽しいんだ!」って思いました。それからですね。

それで、ボデギータに行くようになって、ちょうどその頃カリベがまだ今のカリベじゃないところにあった頃、深夜の金曜日とか土曜日にしか人が集まらなくて、しかも外国人ばっかりっていう感じで・・・


---その当時はまだサルサレッスンがない時代だったんですよね?

そうなんです。ボデギータでサルサの楽しさに目覚めてから、六本木のカリベに遊びにいくようになって。それも今のカリベの場所に移転する前の時代ですね。
遊びにくるのはラテン系の外国人ばっかりっていう感じでした。

当時のラテン人って、「クイック・クイック・スロー」っていうリズムでちゃんと踊らない人がほとんどなんですね。曲のリズムに合わせて、人によって規則性が違うんですよ。

で、私は相手に合わせて踊るっていうのが、なんか得意だったんです。とにかく相手に合わせて、合わせてってって踊るようにしていたので、彼らにとっても私は踊りやすい相手だったと思います。
しばらくして、ある時すごく踊りやすい人がいて、「なんでこの人は踊りやすいんだろう?」って思って分析したら、その人は「クイック・クイック・スロー」っていうリズムをとっていたんですよね。
その時に、「あ!クイック・クイック・スローで踊ればいいんだ!」っていうことに気付いたんです。


---まさに現場でサルサを学んでいったんですね!

それからしばらくして、サルサミュージシャンの"オルケスタ・デ・ラ・ルス"がサルサのビデオをリリースしたんですね。
当時カリベに集まる日本人っていうのは、ある程度メンバーが決まっていたんですけど、彼らと一緒にそのビデオを見ながら練習して、ようやくサルサダンスがなんたるかを知っていったんです。
その後、オルケスタ・デ・ラ・ルス主催のサルサダンスコンテストに出場し、準優勝したことは、私にとっては大きな転機のひとつです。


---それから、サルサのインストラクターになったキッカケは?

当時はサルサクラブに来る日本人は本当に少なかったんですけど、せっかく来たのに、何も知らない人から見ると。サルサの雰囲気ってちょっと照明も暗いし。夜な夜な男女が抱き合ってるように見えるじゃないですか?

そうすると日本人って、踊り方もわからないとすぐに出て帰ってしまうんですよ。
そんな状況を見て「サルサって本当はこんなに面白いのに、そんな風に第一印象を持たれてしまうのは、なんかもったいないな」って思ったんです。

で、サルサ友達の中で「ちゃんと教えたら絶対教えたら広まるよ」って話になって、自分達はサルサビデオをスローにしたり、何度も巻き戻して見たりして一生懸命練習活動もしていたので、これだけやっているんだから人にも教えようよってなったんです。


---それが六本木でのサルサレッスンのスタートなんですね。

最初は、当時のカリベのメキシコ人オーナーに「日曜日はお店ガラガラなんだから、ここでサルサレッスンをさせてよ」って持ちかけたら、「ぜひ!」ということになったんです。

私たちもちゃんと責任をもって教えるために1レッスン1000円っていう設定にしてレッスンをスタートしました。最初は生徒さんの数は4~5人くらい。外国でサルサに触れたことのある方とかが中心でしたね。

それから徐々にクチコミとかで生徒さんが増えてくると、「ビデオのレッスンだけではもの足りないよね」っていうことになって、じゃあそのビデオの中で教えているエンジェル・フィゲロア先生に実際に習いに行こう!とNew Yorkまでいったんです。

エンジェル先生は、私たちが日本でサルサを教えてるっていうことを喜んでくれて、「NYに滞在してる期間の中で、できるだけ多くのことを教えてあげる」「反復練習は日本に帰ってからすればいいから、ビデオに撮って帰って」って言ってくれたんです。本当にありがたかったです。


---今のダンスパートナーであるマヌエル先生との出会いは?

サルサを教えるようになった頃は、まだSEの仕事もしつつ、毎晩のようにクラブにも踊りに行ってっていう感じだったんですが、たくさんいたペルー人の友達の中に、マヌエルがいました。
彼はもともとサルサのステップは自己流で、いわゆる「クイック・クイック・スロー」はできなかったんですけど、エンジェル先生のビデオを見せると「すごい!こういう風になりたい!」って言ってくれて、すごく真剣にビデオに興味をもつんですね。

普通のラテン人は、自己流を通すっていうか、「俺たちはラテン人なんだから自由に踊るよ」ってタイプが多いんですが、マヌエルはそこが違いました。とはいえ、しばらくはなかなか自己流が抜けなくて、クロス・ボディ・リード(サルサの基本リードのひとつ)がちゃんとできるようになるまで半年かかったんですけどね(笑)

ちょうどその頃に、エンジェル先生を日本に呼んだんです。そしてマヌエルを紹介したところ「彼はすごい良いものを持っているよ。YUKOは彼とペアを組むべきだよ」って言ってもらったんですね。それでマヌエルと一緒にペアを組むようになると、だんだんレッスンの生徒さんの数も増えていったんです。そのタイミングでSEのお仕事は退職して、インストラクターの道に入ったんです。


---YUKOさんにとって、サルサの魅力って?

サルサって身体を使うコミュニケーションだと思うんですね。サルサってお互いスキンシップがあって、一緒に踊っていくので、仲良くなりやすいですし、お友達もつくりやすいと思います。
色んな職種、人種、バックグラウンドの違う人たちが、サルサっていう同じ共通点で一緒に踊っていくということで、色んな方と知り合えるのも魅力だと思います。

私もサルサと出会って、色んな人と出会ったことで、すごく自分自身を磨けたし、鍛えられました。

実は私は最初の頃は、踊れない人の気持ちがわからないダメなインストラクターだったんです(笑)相手の気持ちがわからなくて「どうしてできないの?」って思ってしまう性格だったんですね。そこから、相手の立場になって考えてみることや、コミュニケーションの仕方がわかってくるようになったのは、サルサのおかげだと思いますね。


---YUKOさんはサルサ以外にも色々研究されていますよね。

私はサルサを上手に踊れるようになるために、身体を鍛えだして、ヨガとピラティスのインストラクターにもなったんですね。そこで発見したのは、身体を鍛えていくと心が変わり、自分の心が変わると相手にも変化が現れるんです。それが驚きでしたね。
じゃあ、心を変えていくにはどうしたらいいんだろうって、色々追求していく中で心理学の勉強をするようになりました。心理学を学んでいくと「あ、これってサルサでもそうだ!」と思う点がたくさんあるんですよ。

例えば、他人とのコミュニケーションをする時に、まずなるべく早く信頼関係を作りたい場合、動作だったり呼吸とかを相手に合わせていく「ミラーリング」っていう方法があるんですけど、それってまさにサルサでもやってることですよね。ペアで踊る場合のリードもお互いの役割が決まっている中で、お互いが合わせていかなくちゃいけない、相手がどういう気持ちであるか、どういう考え方でいるか、まず相手の地図に合わせていかないとズレていく一方なんですよね。

相手がどうしたいのかっていうのを理解した上でステップを繰り出していく、女の人も「あ、まわるんだな」って勝手にターンするんじゃなくて、相手に合わせていくっていうことが大事ですよね。


---そこまで深くサルサを考えたことなかったです(笑)

ええ、なので私はそういうことを、心理学とかを交えてサルサを伝えていきたいと思っています。
私のブログで「サルサで学ぶ心理学」っていうのを最近書き始めていて、これから連載していこうと思っているので、ぜひ見てください。


---Yukoさん的「サルサ上達の秘訣」を教えてもらえますか?

これも心理学に絡めて話せちゃうんですけど、結局はコミュニケーション力だと思います。男の人の場合、最初は覚えることが多くて大変ではあるんですけど、でもそれは皆が通る道なわけです。

そこで「俺ってダメなんだ~」「まだ誘えない」「ムリムリ」ってならずに、「まだこれからなんですけど、踊ってもらえますか?」って爽やかに言えると、女の人も練習相手になって踊ってくれるわけですよ。

もの凄く上手な女性にいきなりお願いしても難しいとは思うけど、サルサ場には色んな女性がいてるので、とにかく明るく・爽やかに「お願いします」って声をかけて、場数を踏むことが上達の重要なポイントだと思いますね。

あと男性だと、踊りが上手だとクラブで確実にモテますよ(笑)
サルサが上手になることによって、人生が変わっていった男の人をホントにたくさん見てきましたので間違いないです。
「え?この人が、え!こんなに?」みたいな(笑)。そういうことがサルサの世界では起こりうるんですよね。


---今後の活動予定について教えてください

直近のイベントは12/19(土)のハマクリですね。11月のジャパン・サルサ・コングレスで踊ったパフォーマンスを横浜の皆さんにご披露しようと思います。

コンセプトは「再生」です。私の中でここ2~3年は心理学の方に夢中になっちゃって、サルサをちょっと置きざりにしていたところがあるので、そろそろ心を入れ替えてメンバーの皆と頑張ろう!って意気込みがこめられています。何よりもマヌエルの踊りがセクシーで素晴らしいので、そこを要チェックしてもらいたいですね。

それと大きなイベントとしては、来年の2月28日(日)に南青山のモーダポリティカにて発表会をやります。毎年参加者が70名、オーディエンスは500名ほどで大いに盛り上がるイベントです。私たちは「楽しい・自由・ユニーク」をテーマに練習してきているので、その生徒さんたちの成果を、ぜひ見に来ていただきたいです。

あと、インストラクターを募集していますので、興味のある方はご連絡ください!


---ありがとうございました!

【編集後記】
石川裕子さんは、インタビュー中でご自身でも語っているように、「相手がどう考えているか」の感度がとても高い方だと思いました。お話をさせてもらった時も、こちらの質問の意図を非常に丁寧に伺ってくれたのが印象的です。それにダンスパートナーであるマヌエル先生の才能に対する信頼感は絶大ですね!


【石川裕子/プロフィール】
日本におけるサルサの第一人者。
主催するサルサスクール"ロス・サルセーロス"の生徒と共にサルサ世界大会に出演するなど、パフォーマー、振付家として活躍中。指導者の育成にも定評がある。また、ヨガ、ピラティスのインストラクターでもあり、ピラティスのDVD(ユーキャン)監修も手がける。キネシオロジスト、ヒプノセラピスト、NLPトレーナーでもある。呼吸法、ボディワーク、エネルギーワークを学ぶなど身体の探求に余念がない。



>>> 12/19(土)ハマクリ@横浜YCCについて
>>>ロス・サルセーロスについて
>>>石川裕子さんのブログ「サルサちっくに生きてみない?」

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【サルサ人インタビュー】HIROKOさん
DATE : 2009-11-27-Fri  Trackback 0  Comment 0

今回のサルサ人インタビューは、ダンススタジオ エスパイアを中心にインストラクターとしてご活躍されているHIROKOさんです!

【amigoken】
---HIROKOさんがサルサに出会ったキッカケを教えてもらえますか?


キッカケは、'00年か'01年の頃、友達にサルサバー(スダーダ)連れていかれたことですね。
でも最初はぜんぜん踊れなかったんです。

私は昔から日本舞踊やジャズダンス、バレエなど一人で踊るジャンルのダンスはけっこうやっていたので、踊りに関してはちょっと自信があったんですよ。
他のダンスのジャンル・・・例えばバレエをやってる人とかって、見た目とか雰囲気でだいたい「あ、この人は上手そうだな」とかわかるんですけど、サルサって普通の女性がすごく上手にクルクル回っていて、それなのに自分はまったく踊れなくて・・・「なんでー?」って(笑)。なんかすごい悔しかったですね。
でも、その時はまだサルサにはハマらなかったんですけどね。

それとは別で、またある時に、ジャズダンス時代からの友達でサルサインストラクターの小森礼子さんにキューバンサルサのイベントに誘われて見にいったんです。そしたらそこもなんだか別世界で、当然ですけどキューバ人の方がいっぱいいて(笑)私は英語しゃべれないから外国人さんは苦手で、「あぁ、私には入れない世界だ~」って、その時は思っていました。

それからしばらく経って、ある日お昼間にフィットネスジムにいってて、そこでサルサの無料スタジオレッスンがあったんです。「あ、サルサだ!」と思って受けてみて、ちゃんとステップを習ったら「あ、これは楽しい!」って。

でも、ジムだとインストラクター一人に対して女性の生徒さんが20人とかで、ペアで踊れる機会がちょっとしかない。それで、「もうちょっとちゃんと習いたいなー」と思って礼子さんに「どこに習いにいったらいいの?」って聞いたら、アルベルト・ロマイっていうキューバ人の先生を紹介されて・・・っていうのがサルサをはじめたきっかけですね。


---それまではペアダンスの経験は?

スダーダで初めてサルサに触れて、ジムで習ってみるまでの間に、半年ほど社交ダンスをやったことがあります。
社交ダンスも楽しかったんですけど、決まりごとがしっかりしてるじゃないですか。それが全然わからなくて、悶々としてた時にサルサに出会って、「こっちの方が楽しい!」って思いました。
やっぱりラテンって発散できる感じでいいですよね!


---最初にパフォーマンスをした時のことを教えてもらえますか。

それが、実は2001年のジャパン・サルサ・コングレスで、しかもアルベルト先生とペアで出場したのが最初なんです。


---いきなり大舞台でのデビューだったんですね!

そう。アルベルト先生のレッスンに通いはじめて3ヶ月目だったんですね。
私は最初、チームの方に誘ってもらえたんだと思って、「ラッキー♪チームに入れるんだ!」ってスタジオにいったら、アルベルト先生の他に誰もいなくて(笑)

「さぁ、これをペアで踊るぞ」ってビデオを見せられて、「とてもムリだわ!」って思ったんですけど。私は負けん気が強い性格なので、一回「やる」って言ってから断るのはイヤだったんですね。

その誘われた日から本番までは1週間しかなくて、練習回数は5回だけ、しかもアルベルト先生のラテン人気質だと平気でスタジオで1時間とか待たされるし、当時はケガもしていたし・・・まぁ色々大変だったんですけど、今となっては良い経験をさせてもらいました。


---すごい度胸とガッツですよね。

無謀でしたね(笑)。でも、そのコングレスでのパフォーマンスはミスも多くて、あまりにも自分の下手さにヘコんでやめようかと思ったんですよ。サルサは1回の記念でいいやーと。
でもやっぱり負けん気が強い性格なので、どうせやめるんだったら、もっと上手くなってからやめようと思って。で、アルベルト先生にお願いしてチームの方に入れてもらったんですね。チームでは2003年まで約2年活動しました。


---それからインストラクターになったキッカケは?

2002年にアルベルト先生のアシスタントになったんです。スダーダとかエルカフェ・ラティーノでアシスタントをやらせてもらっていて、その1年後にインストラクターをはじめたんです。

これも今だから笑えるんですけど、アシスタントになったきっかけっていうのもヒドイんです。アルベルト先生に「HIROKOアシスタントやるか?」って誘われたんですね。私はてっきりアルベルト先生がメインでいてくれて、横についてるのがアシスタントだと思って「はい」って答えたら、アルベルトは「じゃあ今からスダーダにいってきて。俺は他でレッスンがあるから」って言うんです(笑)それも当日の10分前とかのムチャ振りで!私はそれまで男役の踊りも知らなかったので、そこから必死になって覚えて・・・今に至ってます。

そんなこんなで、2003年から私の家族で経営している銀座のダンススタジオ「エスパイア」でサルサインストラクターとしての活動をスタートしました。
最初は私は初心者クラス担当で、中上級者レベルにはアルベルト先生に指導してもらっていたのですが、アルベルト先生のキューバ帰国に伴い、私が全レベルを見るようになりました。


---パフォーマンスチームを作ったのは?

2004年からです。"Muchacha"と"にこにこさるさーず"の2チームですね。

"Muchacha"は身長160cm以上、女性オンリーのチームなのですが、結成のキッカケは、レッスンクラスの生徒さんだった女の子2人が、会社のイベントでサルサを披露することになって、そのための振り付けを頼まれたんです。その2人がたまたま身長の高い2人だったんですね。それで、スタジオにいる身長の高いメンバーを何人か集めてやろうって。その時にいた4人が第1期メンバーですね。
その後SHOWとして楽しんでもらえるプロ集団を作りたかったので、私がアルベルト先生のチームの時に一緒だったメンバーに声をかけて、第2期から今のプロメンバーになりました。

私がサルサ界に入った時に抱いた夢として、サルサ界じゃない人が見ても楽しめるSHOW UPされたパフォーマンスをやりたいと思ったんですね。
私はサルサ以外のダンスもたくさんやってきた経験から、自分で振り付けをするパフォーマンスにはサルサ以外の要素も入れてしまうので、サルサ関係の人からすると「あれはサルサじゃないんじゃない?」って思われるかもしれないんですけど、私はより多くの色んな人に楽しんでもらえるパフォーマンスをやるっていうポリシーにしてきています。

一方で"にこにこさるさーず"の方は、スタジオをオープンした時に、一から生徒さんを募集したので、サルサをはじめて3ヶ月の人とか初心者の人たちばっかりだったんですね。そういう人たちでも楽しく笑顔で踊れるチームっていうことで"にこにこさるさーず"ってネーミングにしたんです。


---これまでのサルサ活動の中で印象に残ってるイベントはなんですか?

色々ありますけど、"Muchacha Noche"(="ムチャチャ"の夜という意味)ですかねー。
今まで2006年~2008年の間に3回やったんですけど、1回目はミツエさんとのコラボ、2回目と3回目はLos SalselosのGG'sとコラボさせてもらいました。

このイベントもキッカケがあって、"Muchacha"が初めてLAコングレスに行くことになったのですが、メンバーの一人がどうしても都合でLAにいけなくなってしまい、急遽助っ人を探すことになったんですね。その時にダメ元で私の大好きなミツエさんにお願いしたら、なんとOKしていただいて。しかもたった3回の練習で振り付けも覚えてくれたんです。そしたら、ミツエさんとコラボしている"Muchacha"をぜひ日本でもみたいっていう声が多くて、「じゃあ」ってことで第1回目の"Muchacha Noche"の開催になりました。

1回目と2回目は普通のサルサイベントっぽく、何曲かパフォーマンスがあってからフリーダンスっていう形で開催したのですが、3回目は「30分間のSHOW」として見ていただくというのをコンセプトにしました。30分のショーにしようとすると1曲が約4分~としても、6曲以上の振り付けが必要で、準備も1年がかりっていう大きなイベントになったんですね。また、日本を代表する女性インスタラクターの方10名と一緒に"muchacha japan"として踊れたのがとても嬉しかったですし、すごく印象に残ってますね。


---今後の活動予定について教えてください。

直近だと12/5(土)には日比谷でパティオサルサっていう無料イベントがあります。
その次が12/19(土)のハマクリですね。

ハマクリには昨年に引続き"Muchakucha"で出演します。"にこにこさるさーず"からスピンオフしたクローズドクラスのチームで、むちゃくちゃサルサ大好きな人たちが、なんでもやってしまおう!っていうコンセプトのチームなんですけど。昨年は三味線の音でサルサを踊るって演出にしたのですが、今年は「ムチャクチャ劇団」っていうのがテーマで、サルサ・バレエ・シンクロナイズトスイミングと小芝居をミックスした演出にしています。男性の衣装は海水パンツで・・・あ、でもコントじゃないですよ(笑)女性の衣装もバレリーナっぽい感じにしていて、見た人が「こんなのもあるんだね、楽しかったね」って思ってもらえるようにしたいと思っています。


---面白そうですね!それにしても多くのチームを手がけて、毎月のようにイベントがあってって大変なのでは?

いや~手いっぱいですね(笑)。
正直、チームパフォーマンスは練習がツライとか、イベントを打ち上げるまでに色んな問題があったりするし、ヘコんで「もうやめようかな」って思うこともたまにあるんですけどね。でも皆で取り組んでいる過程が好きですし、終わった後にみんなが「楽しかった~」とか言ってくれると、「あー、またやっちゃおうかなー」って思うんですよね。もうその繰り返しですね。


---最後に皆さんへメッセージをどうぞ!

大げさな表現かもしれませんが、私サルサって「世界平和」だと思うんです。


---おぉっ!!

なぜかというと、サルサって相手がどうやったら踊りやすいかを考える「思いやりダンス」じゃないですか。人と人とが手をつないで踊っていれば、ケンカとかする気にならないと思うんですよ。それを広めていけば最終的には戦争とか殺し合いとかする気がなくなると思うんですよね。
それってつまり、サルサは大きく言うと世界平和なのかなって。

サルサの魅力は踊り以外の精神的なことがすごく影響するものだと思うんですね。小さい子からお年寄りまでサルサの楽しさを、今やってる人と一緒に広めていきたいっていうか、皆がそういうキッカケを友達に伝えてほしいですし。

私がサルサをはじめたキッカケも、自分がインストラクターをやりたいなんてことじゃなくて、ただ知らない人に「もったいないから伝えたい」って思ったことなので。
なので、私がやっているダンス・パフォーマンスを見てもらえれば、サルサに興味をもってもらえて、それが世界平和につながれば・・・って思っています。

---ありがとうございました!


【編集後記】
HIROKOさんはモデルような美しい容姿をもちながら、チャキチャキとした江戸っ子スタイルで楽しくお話をしてくれる素敵な方でした。
インタビュー中も冗談を言って笑ったり、とてもチャーミングなお人柄が人気の秘密なんでしょうね。
なによりもサルサを楽しく踊ることによって、多くの人に楽しんでもらいたいという意気込みがビシバシ伝わってきました。ハマクリでのパフォーマンスも楽しみですね。


>>> 12/19(土)ハマクリ@横浜YCCについて
>>> スタジオ エスパイアについて
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【サルサ人インタビュー】日本サルサ協会 武永実花さん Part.2
DATE : 2009-11-14-Sat  Trackback 0  Comment 0


Part.2:サルサを長く楽しめる
モチベーションを提供したい!


【amigoken】
---では、日本サルサ協会の具体的な活動内容について伺っていきたいと思います。


MIKA:
そもそもなんですが、サルサの良いところっていうのは、簡単にとりかかれて、なおかつ遊びにいきたいと思ったら踊りにいける場所がたくさんあるっていうところじゃないですか。

他のダンスだったら、ちょっと踊れるようになるのもすごく時間がかかるし、習うにしても半年ぐらいはレッスンを受けないと遊びにいくってところまでならないですし。サルサだと服装も割とカジュアルで、いちいち事前にチケットを買っておかなくてもいいし、料金も安いし。それでいてスペイン語や英語が飛び交って、すごくインターナショナルで楽しいものだと思うんですよね。

HIPHOPや社交ダンスも色んな国でイベントはありますけど、出られる人ってすごく限られる。サルサだと生徒さんレベルでも出場することができる。そういう楽しさっていうのは日本サルサ協会としても残していきたいと思っているんです。よく誤解されるのは、「日本サルサ協会がクラブサルサを潰そうとしてる」みたいに言われるんですけど、そんなことは全然なくって(笑)。

クラブサルサはあって当然だと思いますし、そこでは一般の人が楽しく踊る。一方で、プロだったらアートとして発表できるレベルの場っていうも必要で、その中間に生徒さんレベルも参加できるステージイベントがあるっていう、そういうピラミッド的な形をきちっとつくれれば、それぞれのモチベーションが持ちやすいと思うんです。


---確かに、サルサって色んな楽しみ方がありますから、モチベーションの持ち方もそれぞれですよね。

MIKA:
その一つとして「検定」というのを考えています。
これは来年からやっていきたいのですが、例えば、英会話だと「しゃべりたい」っていう人と「海外にでたい」っていう人と、英検みたいなのを受けるために「勉強としてやりたい」っていうように、色々な目的の人がいるじゃないですか。それと同じで、日本人にとっては「検定」ってモチベーションをキープするのに良い方法なんですよね。

現状だと、ある程度踊れるようになると「クラブで踊れればいいや」って思ってレッスンをやめ、さらに時間が経つとサルサから離れていってしまう人が多いんですよね。「結婚したから」とか色んな理由がきっかけで。

そこで、検定ってものがあることで、クラブで踊るだけじゃない「ここまではやった」っていう目標があれば続けてもらえるかなっていうのがあって。


---チームに入って、パフォーマンスを目標に練習するっていう道もありますよね?

MIKA:
そうですね。
逆説的にいうと、あれだけ各チームができるっていうのは、チームをつくらないと生徒さんのモチベーションをキープできないからとも言えますね。

今、プロの人たちにとってすごく大変なのが、何か発表会とかを目指すチームをつくらないと、結局のところ自分達の生計にかかわるんですよね。だからあれだけ色んな人たちがクローズドクラスっていうのをやっているわけですね。

プロの人たちが踊ることによって宣伝するのは良いと思うんですけど、さらにイベンターもやらなきゃいけない、振付師もやらなきゃいけない、ダンサーもやらなきゃいけない、インストラクターもやらなきゃいけないっていうと、他の業界ではそれぞれ全て別々の職業ってなってるぐらいですから、本当に負担が大きい。負担が大きいと、結局のところ自分達のダンスが犠牲になってしまう・・・っていう構造的な課題があるんです。

プロの人たちもやっぱりまずは自分達が生活をしていくことが大事ですから、日本のほとんどのサルサダンサーの人って、いつしか「ダンサー」じゃなくて「インストラクター」になっちゃうんですよね。
他の業界では一般に「ダンサー」と呼ばれる人たちの方が、その世界を宣伝していく人たちで、このままだと「こういうのがサルサですよ」と言える人たちがいなくなってしまう。

説明が長くなってしまいましたが、つまり協会としてはダンサーはダンサーとしての道を突き詰めていけるよう、バックアップしていき、一般の生徒さんに対しても「検定」というものを提供して、モチベーションを保てるようにしますよっていうことなんです。そうしたサポートがあれば、ダンサーはもっと自分のレベルアップのために時間がとれる・・・そうすれば、日本のダンサーのレベルがもっと上がるでしょうし、ダンサーのレベルupに伴って、クラブダンスのレベルの底上げにもつながると思うんです。


---検定には、そういう狙いもあったんですね。
クラブレッスンもあれば、検定向けのレッスンもある、そしてパフォーマンス向けのチームレッスンもあると。一般の人にとっては選択肢が広がりますね。


MIKA:
そうなんです。サルサ業界には「全体でこういうのがあります」っていう道を前もって示しておいて、生徒さんたちには「自分はコレをやりたい!」って選んでもらえるようになればと思います。


---協会を設立したことによって、MIKAさんの念願の学校への働きかけもできますね。

MIKA:
はい。今はまず大学レベルから、各大学に働きかけをしているところです。これも来年の話なんですけど「学生連盟」みたいなものを立ち上げませんかと提案をしているところです。

サルサのサークルは早稲田・慶応・明治etcで増えてきたところですけど、まだ私的なサークルで、学生達も「サルサは今はやるけど、ずっと続けるものじゃないから」みたいな感じになってるみたいで。他のダンス系のサークルとはモチベーションの持ち方が違うみたいなんですよね。

なので、まずは学生連盟みたいなのを作って、全国の大学対抗のコンペを開催したりですとか、ちょっと体育会のノリなんですだけど、とにかく大学生の間でサルサが盛り上がってくれれば、その後に続いてくれると思いますし、それがだんだんサルサの広がりになってくれるんじゃないかなって。

とはいえ、若いダンサーたちが日本のサルサをリードしてくれるようになるまで、10年ぐらいはかかるんじゃないかなって思いますけどね。それがもっと早く5年くらいになってると嬉しいですね。

また、今後ダンサーになる人、インストラクターになる人、振付師になる人ってそれぞれ違うテクニックが必要だと思うので、それらを上手く仕分けられるようにしたいですね。そうすることによって、それぞれの専門分野にもっと集中できるようになるので。


---日本サルサ協会としての直近の活動といえばJAPAN CUPですね。

MIKA:
そうですね。協会として、まずとりかかれることとしては、競技会(全日本サルサダンス選手権大会 ~JAPAN CUP)を開催してダンサーをサポートしていくことです。

競技会で優勝し、日本代表に選ばれたら賞金もでますし、その後の1年間は日本代表としてサルサ界の中だけでなく、外の世界にでてもらいたいと思います。
ただ、当然それには責任が伴いますね。「優勝したあなた自身がサルサのイメージなのだから、大変だけれども頑張ってくださいね」っていう状況を作りたいと考えています。

あとインストラクターの養成っていうのも重要なミッションなのですが、協会としては、今活動されているインストラクターさん達をランク付けしようとかは考えてないんですね。
なぜなら、今教えている方々っていうのは、もう既に経験があり、経験を基に学んでいらっしゃるし、スタイルがどうとか、コングレスに出たからどうこう・・・ってことではないんです。

私たちは、これから将来インストラクターになる人たちに対して、サルサを教えるにあたっては色んな技術をお伝えする、そういうコースを開催していけたらいいなと考えています。
で、それには現在インストラクターをやっている人たち・・・それは東京だけじゃなく全国の皆さんのそれぞれのスペシャルな部分の力をお借りしたいと思っています。
まずは今まで交流のあった色んな団体とか、地方の団体とか、教室の先生とかにはお声がけをしているところです。

例えばエリック先生(Latin World Production)が関西だったり、ジョナサン先生(Extreme Salsa Entertainment)が静岡だったり、あとフランク先生が仙台で東北サルサコングレスって活動をされたり・・・色々なお友達に声をかけながら活動の輪を広げているところですね。

本当はもっと皆さんに声をかけて、一人ひとりに丁寧に説明をしたいのですが、今は協会を設立したばかりで、やることが本当にたくさんあるので、皆さんに声をかけきれていないっていうのが実情です。なので、今回のあみけんサンのインタビュー記事には期待してます(笑)


---本当にやることがたくさんありますね!
では最後に、皆さんにメッセージをどうぞ。


MIKA:
サルサって、みんなが楽しめる色んな魅力があると思うんです。音楽があって、ダンスがあって、それに付随するラテンの文化があって、すごく深いものだと思うんですよね。そういうものを、もっと皆さんに情報を伝えていけるようにしたいですし、それによってみんなが、もっともっと長~くサルサを楽しんでくれるといいなって思います。

---ありがとうございました!


【武永実花/プロフィール】
8歳からダンスを始め、1994年から3年連続で全日本選手権大会・アマチュアラテンチャンピオンを獲得。2001年キューバ国立民族舞踊団へ短期留学。2002年六本木にダンススタジオ「カシーノ」を開設。ダンスショーやテレビ(ドラマ、CM、バラエティー番組など)での振り付け、ダンサーとしての出演も多数。2009年9月にNPO法人 日本サルサ協会を設立。



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【サルサ人インタビュー】日本サルサ協会 武永実花さん Part.1
DATE : 2009-11-14-Sat  Trackback 0  Comment 0

2009年9月、ついに日本のサルサ界に「日本サルサ協会」が誕生しました。
そして「第1回全日本サルサダンス選手権大会 ~JAPAN CUP 2009~」が開催されるとのこと。

私が最初に思ったのは「ついにできたか!・・・でも、誰が何のために?」っていう素朴なギモン。
というわけで、今回は日本サルサ協会の理事長である武永実花さんにJAPAN CUPの準備で大変お忙しい中、お時間をいただいてお話を伺ってきました。
ロングインタビューとなったので、全2回に分けてお伝えします。


Part.1:もっとサルサを広めたい!

【amigoken】
---武永実花さん(以下MIKAさん)おひさしぶりです。
このたび日本サルサ協会を設立されたということで、おめでとうございます。


MIKA:
ありがとうございます。よろしくお願いします!


---で、さっそくなんですけど、どういうキッカケで協会を設立することになったのですか?

MIKA:
色んなキッカケがあって、説明が大変なんですが(笑)

まずサルサの普及活動的なところからいうと、サルサ以外の、他のダンスとして認められいてるものって、どこも基本的には協会・組織があるんですね。例えば、タンゴもあるし、フラメンコもあるし・・・ほとんどある中でサルサだけがなかったんですよね。

もちろん協会が存在しなくても、サルサは踊れるし、楽しめるものなのですが、サルサを普及するための活動をするとき、例えば公共のイベントに入りたいとか、学校教育の中に入りたいとかいった場合に、スタジオやプロダクションといった一法人レベルだと、なかなか難しいっていうことがあるんです。

今までTVや雑誌などで、色々サルサっていうのがとりあげられて、お仕事としてお話をいただく機会も多かったのですけど、「サルサの協会ってないんですか?」いう質問も非常に多かったですし、業界全体でまとめて情報発信しているところっていうものがないと、進まない話もたくさんあるんですね。

サルサの情報を外の世界に発信していく上では、サルサ業界内での派閥とかそういうのは関係なく、とりあえずみんなで一致団結して協力しあって、サルサっていうのは、まず定義はこれですよと、その中にスタイルは色々あるけれど、でもいちおう全部サルサですよという風にやっていかないといけない・・・そういう想いからやっぱり協会みたいなのがあった方がいいかなぁと思ったんです。


---それは具体的にはいつ頃からですか?

MIKA:
いざ準備会を立ち上げて活動をやり始めたのは約2年前です。
NPO法人設立の申請を出してから認可がおりるまで1年ぐらいかかりました。
もっと前は、私はひとりの単なるダンサーだったので、正直あんまり経営ってことにも興味がなかったし、業界がどうするってことにも特に興味はなくって(笑)

---そうなんですね!?意外です。

MIKA:
そうそう。ただ自分が踊っていたいっていう意識でしたし、ダンスだけに夢中で、特に不安もなく、楽しいし・・・ただ、不思議には思っていたんですよね。なんでこの業界には何もないのだろうって。
ノールールっていうか、何をやっても良くって、誰がプロになっても良くって、それでいて日本のトッププロと呼ばれるインストラクターたちもクラブレッスンをメインに集客をしてて、価格設定も同じだし・・・っていう。こういう状況にはサルサを広めるためには色々問題もあって、それを良くしていくにはやっぱり協会みたいなのが必要じゃないかなって、そう思いはじめたのも2年前くらいでした。


---協会設立にあたっては、外国の事例とかも参考にしたのですか?

MIKA:
そうですね。アメリカとかヨーロッパの国だと、ヒスパニック系の移民が多いっていう事情もあるので、そこは比べてもしょうがないっていうか、あまり参考にはならなかったんですけど、アジアの場合、韓国も香港も政府観光局がサルサを公認していて、パブリックにPRしてるっていうのはあって、そうなると一般の人たちに対するイメージは変わってくるんですよね。

例えば、空港に着いてすぐに、サルサのイベントのプラカードみたいなのが立っていたり、案内が出ていたりだとかっていうのがあって。そういうのって今の日本ではまだあり得ないですからね。そういう意味で「日本もこうなったらいいのにな」って思いました。
サルサのPRは色々なやり方があると思うんですけど、協会がある = オフィシャルに認められるっていうのが、一般の人たちにとっては、一番わかりやすい方法なんじゃないかなと。


----なるほど。
一方で、協会を設立するとなると責任も伴いますし、ご苦労も多いかと思うのですが?


MIKA:
そうですね~・・・。でも、何でも初めてのことをするっていうのは大変だと思うんですよ。前例のないことですから。
賛同してくれる人もいる一方で、プロの人たちの中でも責任を持つってことに対して尻込みしちゃう人もいれば、批判する人もいるのは事実です。

ただ、協会の活動をやりはじめてより深く認識できたのは、きちっとしたものを提供していかないといけないっていうプロの中でも認識の違いがあるっていうことがすごくよくわかりましたし、現状を把握できたのはすごくよかったなと思います。
批判的な意見に対しても、そういう意見を把握した上で、逆に自分がダンサーだった経験をもとに、みなさんにうまく説明できて、「~だから必要なんだよ」ってことを伝えていけたらいいなと思っています。


---他にも協会をつくろうと思った理由ってありますか?

MIKA:
先ほど少し触れましたが、私はサルサを普及させるためにどうしても学校教育の中に入りたかったんですね。それはなぜかというと、HIPHOPにしても、社交ダンスにしてもどのジャンルでも子供の時からスタートできるんですよね。だから良いダンサーが育つ、才能がすぐに見つけられるんです。サルサだと、今は早くても大学生デビューとかじゃないですか。サークルができたのもここ数年のことですし、学校が認めている部活にはなってないですよね。それはなぜかって聞くと、サルサってどうしても夜の世界ってイメージがあるからみたいなんです。

「夜の世界+ペアダンス+バー = 非行の入口」みたいな図式になってて、「とてもじゃないけど、そんなの奨められません!」みたいな。


---ん~、極端ですけど、なんかわかります(笑)

MIKA:
確かに日本のサルサって、東京の、特に六本木にクラブもインストラクターも集中しているし、そういうイメージがあるんでしょうね。
でも世の中には一生の中で六本木に一度も行かないっていう人もいるでしょうし、あと夜の遊びは全くしたくないっていう人もたくさんいると思うんですね。
学校教育も含めて、私は夜の世界とは別のサルサ、お昼間に普通のエクササイズとしてやるサルサもあるっていうことを伝えていくのも協会の重要な役割だと思っています。

個人的にサルサを学校で教えている方々もいらっしゃるんですけど、そこに至るまでには、そういう人たちの地道なボランティア的な活動があって、認められるまでの大変な苦労があるんですよ。
サルサ自体がもっと一般の人に広がっていれば「あ、サルサですね」って、プロの人たちがボランティア活動をしなくても、最初からちゃんとした仕事としてできる・・・そういう環境をつくっていきたいです。

(続く)
>>> Part.2では日本サルサ協会の具体的な活動について伺いました!


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【サルサ人インタビュー:特別編】NANA @ MUSE LATIN ACADEMY
DATE : 2009-07-27-Mon  Trackback 0  Comment 0
唄って・踊れる、日本サルサ界のSEXY DIVA・・・といえば、思いつくのはやっぱりNANAさん
サルサ・ボーカルとしてのイメージが強い彼女ですが、最近代々木にて新しいコンセプトのサルサダンスレッスンをはじめたというので、体験取材にいってきました☆

【amigoken】
NANAさん、コンニチワ!
イキナリですが、このMUSEラテンアカデミーでは、どんなサルサを教えてるの?


NANA:
今は開講して間もないので、キューバンスタイルの基礎的なコトを教えてます!
今日のレッスンはマンボが中心で。


すごく楽しい雰囲気ですよね。

NANA:でしょ♪。
このMUSEラテンアカデミーのレッスンでは「リズムを感じながら、楽しく踊る」ってトコロに重点をおいて、音楽を聴きつつ、ルーティンも覚えてワイワイ楽しくやってるねん。


MUSEって、もともとは音楽の専門学校ですよね?

NANA:そうそう。
このMUSE音楽院・校長の息子さんがラテン音楽にも明るくてね。
若い人に、もっとラテンをやってほしいって想いがあってスタートしたかんじ。

それで、ピアノ・ベース・パーカッション・トランペット・トロンボーンのプロのミュージシャンたちを講師として集めて、ナイトスクールを開講したの。
で、サルサって音楽だけじゃなくて、ダンスと一緒に楽しむものだからってことで、ワタシもダンス・インストラクターとして参加してるの。


なるほど。
じゃあ、いずれは「ライブを楽しむための、サルサダンス講座」みたいなのもやるとか?


NANA:そういうのもいいよね!
MUSEにはミュージシャンの講師陣がいるわけだし、将来的にはダンス&演奏のアンサンブルレッスンとかもやりたいと思ってます。


ぜひぜひ。楽しみにしてます。
ナイトスクールだと、社会人でも仕事帰りに通えていいですよね。


NANA:場所も山手線の代々木駅の近くやしねー。
みなさん待ってまーす!

▼MUSE★ラテン・アカデミー公式サイト
http://www.muse.ac.jp/night/latin.html

▼動画:NANA サルサダンスクラス


▼動画:小泉哲夫 ラテン・ベース・クラス


▼動画:吉羽一星 パーカッション・クラス




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CATEGORY : サルサ人インタビュー
【サルサ人インタビュー:DJ編】ケンスケ
DATE : 2007-09-09-Sun  Trackback 0  Comment 0
関西で活躍中の若手DJ、ケンスケくんへのインタビューです。
名前がワタシの本名と同じなので、「サルサのDJやってるケンスケくんですよね?」ってたまに間違われます(笑)
年齢も近いしね。DJのケンスケくんは↓こんな人ですよ、みなさん!


--サルサと出会ったのはいつ、どんなきっかけですか?
音楽としてのサルサは2000年、名古屋駅のHMVで、1999年のフランス映画「サルサ!」のサントラ版を購入したのがきっかけです。
ラテンジャズの音を探していて、「サルサ!」のサントラを買ったのですが、その時はサルサというジャンル だとは知りませんでした。


--サルサと出会う前はどういった音楽を聴いていましたか?
ビバップあたりのジャズやボサノバ、ラテンジャズです。
ハウスやヒップホップも長い間踊っていましたのでよく親しんできましたね。


--サルサDJとしての最近の活動内容を教えてください。
最近は京都のCafe Rumbitaです。
金曜や土曜のイベントでロドリゴさんのお手伝いをさせていただいてます。最近出張DJでかなり忙しく活躍されてますからね。


--パーティをやる際のコンセプトを教えてください。
みんなが聞いて分かりやすい曲/知ってる曲で踊れるのが一番楽しいというコンセプトです。日々研究しています。


--今までで一番印象に残ってるイベントを教えてください。
今年、2007年3月に僕と奈良のサルサバンド、「オルケスタ・ノチェ」と一緒にやらせていただいたイベントが印象的です。
いつもはお手伝い的に活動させていただいてますが、その時ばかりはあまりに張り切ってついにDJセットを買ってしまった、というのが一番のエピソードですね。そして、自分の習っているスクールの先生が来て下さったのもすごい嬉しかった思い出があります。


--どのイベントでも「ついつい使ってしまう曲」BEST3を教えてください。
やっぱり分かりやすくてみんな知ってる曲ですよね。
・Grupo Mandinga の "Cuando Te Vea"
・Johnny Ray の "Margarita"
・Spanish Harlem Orchestraの "Bailadores" 

になると思うんですが、すごくベタですよ(笑)。


--自分的に大好きな曲BEST3を教えてください。
僕はパワフルに疾走していくような曲が好みです。悲しみも苦しみも全てパワーに変えて突き抜けて行く感じ…。今の僕の、サルサのイメージです。

・Ray Barretto "Canto Abacua" (2:41過ぎたところから踊れます)
・Bobby Montez "Titoro" (昔ラウンジ系クラブで大受けでした)
・Salsa Swingoza "Oye Lo Que Te Convince"
(大阪のManny Mendezが歌ってます)


--保有CDは何枚くらいありますか?
ま…お手伝いってことで、わずか1000枚くらいです。ほとんどロドリゴさんのリソースです。一度盗まれたことがあって大変でしたよ。


--今後の活動予定を教えてください。
京都へお越しの際は、京都ルンビータ にいらしてください!
今は月1~2くらいでしてます。


--ご自由にメッセージをどうぞ!
サルサを踊る人の中には、サルサのアルバムCDを持っていないことが多いようですが、他のジャンルのダンス界では【ありえない現象】です。
厳しい話ですが、ビンボー学生達でさえ、ヒップホップが上手くなりたくて必死にお金ためてCD買ってます。「自分のお金できちんと買い(思い入れが出るから)、たくさんの好きな曲に出会う」ことが、本当にダンスも音楽も好きになれる最重要ポイントではないでしょうか。
そしてクラブで聞いて、気になった曲があれば遠慮なんかしないで、どんどんDJに聞くべきです!ネタを披露したくないDJは伸びないし、そんなDJはいませんしね。
どんどんサルサラバーを増やそう!

--ありがとうございました!

【編集後記】
思えば、ケンスケさんと初めて会ったのは、たぶん神戸のサルサパーティだったと思います。
当時はもっと固いイメージというか、マジメなイメージというか、まぁ当時のご職業が聖職系だったのでそういう雰囲気だったのかもしれませんが、今とはだいぶ違う気がします。どんどんサルサにハマっていって、もともとケンスケさんの中にあったラテン的な才能が華開いていった……って感じがしますね。
ダンスもえらく「エロく」(良い意味で!)なっていったように思います。
同世代のサルサ界に熱い想いを寄せる仲間として、より一層ハジけていってほしいヒトです。


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CATEGORY : サルサ人インタビュー
【サルサ人インタビュー:オーガナイザー編】Motoka
DATE : 2007-09-02-Sun  Trackback 0  Comment 0
ひさびさのサルサ人インタビュー復活です!
復活第1弾に登場していただくのは、Ms Projectsで数々のイベントをプロデュースする超やり手オーガナイザーのMotokaさんです!


--サルサと出会ったのはいつ、どんなきっかけですか?

2000年公開のフランス映画『SALSA!』を観て「わぁ~!これやってみたい。踊ってみたい!」と胸がときめき思わず映画館の座席で踊り出していました。幼い頃、我が家の応接間に父が買ったマラカスとクラーベがありました。ペレス・プラード楽団のLPから流れる"Mambo No,5"に合わせて楽器遊びをしていたことを思い出します。高校生になって親に黙って通ったディスコで一番好きなナンバーはバリー・マニロウの「コパカバーナ」。ラテン音楽に血が騒ぐ性格はいづれサルサに巡り会うことを予感していたのかな?


--オーガナイザーとして活動するようになったきっかけは何ですか?

2004年の早春に当時所属していた横浜のラテンダンスサークルで企画担当をしていた時、あるメンバーさんが瀬田のクラブハウスと鎌倉稲村ガ崎の海沿いレストランPeter'sでサルサパーティをやってみないか?とお話を頂いたのがきっかけです。

その年に大手町サンケイビルの屋外イベントスペースで無料サルサイベントを提案しコーディネイトをしたところ大ヒット!ビジネス街のラテン化にみごと成功しました。この大型イベントで多くのことを学びました。

2005年10月にサルサイベント企画運営チーム:Ms Projectsを立ち上げ様々な会場で個性的な企画内容のイベントを開催し続けています。


--たくさんのイベントを主催してらっしゃいますが、どのようなコンセプトでオーガナイズしていますか?

ひとりでも多くの人たちにサルサの美しさ、楽しさを知ってもらいたい
サルサ普及が第一の主旨です。サルサ人口をもっと増やしたいです。
また「ダンススタイルに壁はなし!」どんなレベルの方でも、どんなサルサスタイルの方でも楽しんで頂けるよう初心者に優しいオールジャンルのイベントを目指しています。

以上のコンセプトに添うような新鮮な会場と斬新な企画の継続を目標に日々アンテナを張り巡らせています。



--起用するDJやインストラクター、パフォーマー、あるいはバンドさんは、どのようにセレクトしていますか?

オールジャンルイベントを展開していきたいので、出演者は偏りなく各スタイルから選出しています。Msのイベントでは2、3人のDJ起用が多いんですよ。時にはパフォーマンスはダンスジャンルを超えてオファーすることもあります。ダンスや音楽に隔たりがあるはずもなく、良いものは良いですからね。


--イベントを企画・運営する際に苦労することやハプニングなど、多々あると思いますが、なにか面白いエピソードがあれば教えてください。

デビューイベント「夕日deサルサ」の時のエピソードです。

海一面を望める最高のロケーションである鎌倉稲村ガ崎のレストランは
残念ながら音響設備が整っていません。そこでスタッフDJがコンポや
PCをご自宅のコンセントから抜いて持参してくれました。
その時の彼の荷物とやらまるで長期の海外旅行に出かけるような大量の
ものでした。何とか無事セッティングし、会もたけなわ頃、家庭用音響
機材はどんどん熱を持って何度も音が中断してしまうんです。
その度冷や汗をかいたものです。現在はある程度の規模に対応する音響機材を用意しました。でも、繋げ方があまりわかっていません。
PA募集中です!


--サルサ以外の趣味や、本業は他にありますか?

趣味は……やっぱりサルサですね。
普段は塾の講師をしています。


--これまでに企画したイベントで、一番印象に残ってるイベントはなんですか?

どのイベントも思い入れがあります。特に苦労しながらもMs Projectsらしい企画と言えば、横浜歴史的建造物BankART・ZAIMを会場としたイベントでしょう。
*BankART・・旧第一銀行(1929年創建)・ZAIM・・旧関東財務局(1928年)

公立系文化施設の職員にサルサを十分理解してもらうには、かなりの時間が掛かりました。また1920年代の石造りの建物は音響がとても難しいのです。BankARTでは音響専門スタッフが試行錯誤のうえ音づくりをしました。

そして両会場共3スペースを借り上げ各スペースごとに特徴を持たせました。例えばサルサオンリーのお部屋、バチャータ、メレンゲのお部屋 etc…インストラクターもパフォーマンスもDJも各スタイルから招聘し、バンドも入りました。(BankARTでは出演者だけでも60人以上。)
お客さまは好きなスペースに自由気ままに行き来ができる回遊型イベントに。また、せっかくの文化発信地での開催ですもの、ZAIMではアートと音像空間のコラボレーションの実現を果たしました。一流のアーティスト集団が支えてくれたのです。

この二つの会場は大反響を得て、たくさんの参加者に恵まれBankART、ZAIMの最大集客記録数を樹立しました。準備から撤収まで本当に大変な作業でしたが横浜ならではの企画で開催できたことを嬉しく思います。


--今後、どのような企画にトライしていきたいと思っていますか?

イベントは毎回「もの創り」と考えています。
同じ企画を続けることは容易いなことですが、飽きっぽいのでしょうか?新しいことをどんどん仕掛けていきたいと思っています。
常々、音楽やダンスの壁は無し!と思ってますので、今年はベリーダンスとストリートとコラボしました。これからも様々なジャンルとフュージョンして行きたいし、アートやビジュアルなものも活発に取り入れたいと考えています。
会場もそうです。例えば「水族館」とか「温泉場」とか「商店街」とか……意外な場所で開催していきたいです。サルサには実現の可能性がありますから。そして、もっとオシャレな人が集うイベントにしたいので、現在Msで人気のメイクやタトゥー、ネイルなどを更に発展させて、ファッショナブルなサルサを提案し続けたいですね。男も女も美しなくっちゃ!


--読者の方に、ご自由にメッセージをどうぞ!

オーガナイザーとしてデビューした当時は、スタッフも3人だけ、機材も家庭用ミニコンポとPC、レッスンも自分たちで、といったあの頃の私たちにできる精一杯の手作りイベントでした。現在のMs Projectsは優秀なスタッフが集まり、サルサ界一流のダンサーやDJやプレイヤー達が出演してくださるようになりました。
私たちが成長できたのは、他ならぬ、参加してくださるサルセーロ、サルセーラが笑顔でサルサの楽しさを外に向けてアピールしてくださるからこそなのです。
私たちはこれからも創意工夫を重ねサルサ普及の旅を続けていきます。
近い将来、サルサがメジャーになるように・・☆どうぞご支援くださいね。
→ Ms Projects 今後の予定はこちらをチェック!


--ありがとうございました!

【編集後記】
初めてMotokaさんとお会いしたのは、2006年夏。ホテル・ニューオータニでMotokaさんが主催したオシャレで完成度の非常に高いプールサイドでのサルサイベントでした。
それ以前にもネットやミクシイなどで、活躍っぷりは拝見していて、東京にはすごいアグレッシブなオーガナイザーがいるんだなぁ……と、当時も今も変わらず尊敬しています。その貢献度はサルサ・クラブシーンにおいて、歴史に名を刻むのは間違いない人だと思います。
Motokaさんはたくさんの人に慕われていて、交友関係が広いので、イベントとともに色んな出会いもプロデュースしていってほしいですね。

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